2013年3月13日水曜日

アメリカ人に日本流経営スタイルを教えることは可能なのだろうか?


日本人の仕事の仕方は、構造化から入る。

全体のビジョン(やりたいことの最終の姿)があり、全体像をまず捕らえる。それを実現するためには、どうしたらいいのかを組み立てる(家を作るのであれば、土台をどうする、柱をどうする、屋根をどうするかなどを考える。)

そこまでできれば、作り上げるためのアプローチが決まり、コストが決まり、段取りが決まる。

僕は仕事柄、日本人が、日本流のやり方をアメリカ(もしくは、中国、韓国)に適用しようとして、失敗していく光景を何度か見ている。

失敗例で一番多いのは、相手の企業の収益を作り出しているものが何かを特定せず、単純に、この米国企業A社は、日本企業X社と似ている。だからX社の成功体験をA社に適応すれば、もっと収益が上がるはず。と勇んでやってくる場合(私がアメリカ在住なので、アメリカへやってくるという表現になっています。)。

実は、A社の事業は、よ~く見たら、三つの事業からなっている。仮に、事業①、事業②、事業③としましょう。

日本企業X社と似ているのは、事業③の部分だけ。

それを日本から来ている人たちは、気が付いていない。「群盲象を撫づ。」というやつです。

実は、A社の収益を創出してるのは、事業①と②.

A社のアメリカ人経営陣は、当然ながら、①と②にしか目が行っていない。

「日本人が、③を直してくれるなら、まぁ、直してもらおうか。でも、そこは、優先順位3位の事業なんだけどなぁ。③は、労働集約的で、たくさんの人を巻き込まなければならないし、努力が大きい割には、利益が少ないんだよなぁ。何で、そこに一生懸命にならなくちゃいけないんだろう?」とアメリカ人は、思っている。

買収かなんかで、X社がA社の親会社になってしまったりした場合、子会社のアメリカ人は口をつぐんでしまう。上の人間に文句を言おうものなら、即刻、首にされてしまうからだ。

結局、日本人は、頑張った結果があまり大きな果実に結びつかなくても、過去の成功体験でがむしゃらに頑張ってしまう。サービス残業をがんがんやって支えられていた収益構造を、知らず知らずのうちにアメリカ人に押し付けてしまっている。

日本人のものさしで考えて、良いものでも、アメリカ人のものさしで計ると、何の価値もないものであることも多い。

日本のものさしで、物を見ていると、大体の場合、アメリカ人が馬鹿に見えてくる。

でも、決してそんなことはない。

アメリカ人が馬鹿に見えたときには、自分のものさしが狂っていることに早く気がつかないと、努力が水の泡に帰するし、不毛な努力なのかもしれないと、気がつかなければならない。

まぁ、これがGlobal(グローバル:地球的)な人材になるための第一歩ですね。

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